ブリッジは安易に入れてはいけません
後日、この患者さんはこんな報告をしてくれました。
「この頃は、お布団を自分で干せるようになりました。ずっと休んでいたお琴の稽古も再開して、発表会に行ったんです」
患者さんに感謝されるのは医師として一番嬉しいことです。しかしこのときは、手放しでは喜べませんでした。
布団を自分で干せるようになったということは、そうした当たり前の日常を歯科治療が壊してしまっていたのです。
この患者さんは丈夫な歯の持ち主だったため、歯の治療をほとんどしないまま長い時間を過ごしてきました。だからわずかな噛み合わせの狂いに全身が反応してしまったのでしょう。
噛み合わせの狂いが全身に悪影響を与えるのは事実です。そうである以上、ブリッジは安易に入れてはいけません。
治療していた歯科医は、ブリッジの調整しかしていませんでした。つまり、歯列全体の噛み合わせは見ていなかった。これでは何度調整しても症状がなくならなかったはずです。
この患者さんの治療をするとき、真っ先に手をつけるべきは奥歯です。ブリッジを調整したり、作り直すよりも先に、奥歯を中心に全体のバランスが良くなるような調整を加えていかなければなりません。
慎重に経過を見ながら調整を進めていったところ、噛み合わせのバランスは良くなり、結果、会話にも食事にも不具合がなくなりました。同時に、頭痛や肩こりが消えました。「足が痛くて冬でもサンダルしか履けない」は「普通の靴が履ける」になり、全身のだるさも治療とリハビリを進めていくにつれて軽減されましたから、諸症状の原因はやはり顎・口腔系のストレスだったといえます。
さらに詳しく話を聞いてみると、歯以外のところにもさまざまな症状が出ていました。
頭痛、肩こり、耳鳴りが起きていたほか、足が痛くて冬でもサンダルしか履けないとのこと。さらには、体が四六時中だるく、食事の仕度をするとクタクタになってしまい、20~30分は横になっている、という話です。
こうした症状について、ご本人は60歳のときに受けた心臓弁膜症の手術のせいだと思っているようでしたが、噛み合わせの狂いが原因である可能性は充分に考えられます。
調べてみると、ブリッジの部分がおかしかったのは言うまでもありませんが、狂いが大きかったのは奥歯のほうでした。合わないブリッジは、前歯だけではなく、奥歯の噛み合わせも狂わせていたのです。
9年ほど前に来院した六一歳の女性も、そのケースです。この患者さんは左上の奥歯3本にブリッジに入っているほか、すべての歯が残っていました。残った歯の状態は良く、虫歯らしい虫歯もほとんどありませんでした。年齢からすれば、かなり丈夫な歯の持ち主です。
しかし、前歯が飛び出していた。一見してそれとわかるほど、前歯が飛び出しています。
話を伺ってみると、ブリッジを入れる以前は、前歯の飛び出しはなかったとのこと。その段階で考えられる可能性は、ブリッジの大きさが適正なものでない、ということです。大きすぎるブリッジを入れたために、歯列全体が圧迫され、前歯が押し出されてしまったわけです。
むろんこうなれば見た目が悪くなりますが、一番の問題は口の開閉に支障が出ていたことでした。話をするとき、あるいはものを食べるとき、飛び出した前歯が下唇に当たってしまい、激しい痛みが出ていたのです。当然、人と話をするのは苦痛になります。食事にも不都合が出ていて、豆腐や煮魚などやわらかいものばかり食べている、という話でした。
歯科医に不調を訴えたところ、その歯科医はブリッジの咬合面を削って調整をしたそうです。しかし、一時的には良くなるものの、しばらくするとまた元に戻ってしまう。何度やっても同じことのくり返しなので、とうとうその歯科医に見切りをつけ、私たちのところにやって来たわけです。
まず知っていただきたいのは、このことです。くどいようですが、問題は口だけにとどまりません。めまいや肩こり、頭痛、手足の冷え、腰痛、膝痛、内臓疾患や精神的イライラなど、さまざまな病気が「合わない入れ歯」によって引き起こされます。命を脅かすこともありますから、「たかが入れ歯」という考えはきわめて危険です。
そして、もしも合わない入れ歯を作られてしまったら、できるだけ早い段階で作り直してください。信頼に値する歯科医を探して、新しいものを作る。「信頼できる歯医者を探して」という条件をクリアするのは簡単ではないでしょうが、健康に生きている時間を長くするためには、必要なことです。
先ほど述べたとおり、「歯医者探し」は入れ歯になる以前から、始めておくべきです。リストラや倒産が増えている昨今、「自己防衛」という言葉をよく耳にしますが、歯にまつわる自己防衛とは、文字どおり生命を守る行為です。その手間を惜しんでいれば、無用な苦しみを味わうばかりではなく、生命そのものが失われる恐れもあるのです。
ある女性の患者さんが「10年前に作った入れ歯が合わない」と訴えて来院してきたことがありました。
話を伺ってみると、入れた当初から合わなかったのに、「高いお金を払って作った入れ歯だから」と、ずっと我慢して使いつづけていたとのこと。人前に出るときや食事をするときには、市販の入れ歯安定剤をべったりと塗ってはめていたそうです。
10年間も我慢していたため、症状は相当に進んでいました。上の歯茎はブヨブヨで、下の歯茎は土手がヒモのように細くなっている、という状態です。当然、歯槽骨は大きく減っていて、レントゲンを撮ってみると、下顎の歯槽骨はわずかな衝撃でも折れてしまいそうなほど薄くなっていました。この患者さんは、文字どおり「骨身を削って」不具合に耐えていたのです。
幸いにして、治療はうまくいきました。治療用の入れ歯に粘膜調整剤を裏打ちして歯茎を治療し、これと平行して咀嚼システムを改善していった結果、どうにか合う入れ歯を作ることができた。歯槽骨は大きく減っていたものの、歯茎は「入れ歯を入れられる状態」にまで回復したのです。
しかし、治療を始めるのがもう少し遅れていたら、どうなっていたかわかりません。どうやっても入れ歯は不可能、ということになった恐れは充分にあります。
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